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2011年12月31日
今年のトップニュースといえばやはりなんといっても3月の震災に伴う福島原発の事故だろうと思う。あれほどもろい技術であったとはちょっと想像を超えていた。
話は大幅に飛んで40数年前にもどるが、昭和45年頃、自分は一人で静岡県の田子の浦の波止場に立っていた。海は赤く、泡がブクブクと上がっていた。製紙会社の排水で海が汚染されて腐りかけているのだった。いわゆる公害というやつで、何ともえらいことをするもんだと人間のやることに対して大きな不信感を抱いたものである。今は後片付けが進んだのかどうか、当時のようなことはないと思うが大変な手間がかかったことだろうと思う。
さて今回の原発事故はこれとは比べようもないほど大規模なもので、特にもとに戻るまでの時間のことを考えると気が遠くなる。被災された方々は突然全人生を狂わされたわけで、そのことを思うとかける言葉もない。やはり未完の制御技術であったというしかない。えらいことをしたものである。

2011年12月31日
年末は時間の余裕があるので普段しない風呂焚きをする。
家の庭に植えてある椎の木や柿木を春先に枝打ちしたものを斬って束ねておいたものが燃料だ。新聞紙を3枚ひねり巻にし、点火して細い枝を載せてしばらく待てば着火というのがいつもの行程だが、今年は気がせっているのか数回繰り返してやっと火が付いた。我慢が足らなかった。釜焚き失格。釜の前で、赤く燃える火を見ているのなんだか原始の記憶が蘇るような気がします。火悪さは楽しい。風呂に入っても下に火があるとなんだか芯まで温まるようなきがする。
ところで木材を燃料とするとCO2削減に貢献したことになるというのは本当だろうか。ガスを燃やしても、木材を燃やしてもCO2が出るのに違いはないのだが、産地が違うと評価も違うということか。石油や石炭、ガスは地下から。木材は地表でできたもの。石油は1度掘ったらおしまいだが、木材は繰り返し生産可能なものというわけか。
繰り返しやらないこの理屈も成り立たない。ま、理屈抜きで楽しいことではあるし、できる限り続けようとおもう。

2011年12月30日
7月から暇を見てある研削ラインの3d化を進めてきましたが、6か月400時間足らずを要して何とかほぼ完成しました。自画自賛ですが、完成したものを見るとよくぞやったという気持ちになります。半年ほどかかったわけですが、こればかりやっておれば2か月でできたでしょう。
これで目標としていたことの一つがとりあえず達成です。
現時点で3dに関して思うこと。
1. ゴムや蛇腹のような柔軟で且つ規則的な動きをする部材の3d表現をする方法がないものか。
2.モデリングは部品作り、組立はプラモデルの組立のような疑似感覚が体験できること。
3.2dにおける干渉検討といった想像を必要とする感覚が鈍っていくような気がします。
ま、生まれてこの方60年二つの目でこの世界を見て認識してきたのだから、3dのモニタに現出される世界のほうが理解しやすいのは当たりまえのことですね。2dの絵というのは記号のようなもので、実際のものとは程遠い。頭で変換して想像するしかない。逆に3dで製作の方法を示そうと思っても無理なようだし。
最近は時間軸まで含めた方向に向かいつつあるようでこの先どこまでついていけるのだろうか。まあそのうち寿命が尽きるだろうからそれでおしまい。同窓会で「木口小平は死んでもラッパを離さなかった。自分は死んでもマウスを離さない」などとわけのわからぬことをほざいたけれでも、そのうちマウスもなくなるだろうし、本当に展望のないバカな話だった。反省。

2011年12月08日
先日の山陰中央新報に、松江出身の哲学者中村元さんの記念館を作る動きがあると書いてありました。大変喜ばしいことだとおもいます。
仏教関連の著書が多いのですが、中に題名が素人受けするものがあり、20年ほど前に本屋に注文したことがあります。タイトルはシナ人の思惟方法というもので、インド人の思惟方法とかとシリーズになっていたように記憶します。
本屋から届いた旨電話で連絡がありました。そのときの某家族の聞き取りが「シナ人のシーホッホ」だったのです。
シーホッホという中国人の話だと受け取ったようです。とほほ。
いずれにしても郷土出身の大変な人ですから、記念館ができた暁には是非覗かしていただきたいと思います。恥ずかしながら。
因みに該当本は老後の読書のためにとってあります。