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先日仕事のついでにかねてから行ってみたかった奈良三輪山に登ってみた。
正式には「大和國一宮三輪明神大神神社三輪山」というんだそうである。
そうめんで有名な三輪神社だ。山自体が御神体なので登り口で「三輪山参拝証」のたすきを借りて首にかけてお参りだ。標高差約400m、ちゃんとした準備をしないと中高年にはかなりきつい。途中いろいろな人とすれ違うが、パワースポットのせいか白衣に正装した若い女性が目立つ。坊さんらしき二人組もいた。息は切れ、足はつり、汗だくでどうにか山頂の「奥津いわくら」にたどり着く。
しめ縄で結界された岩塊が御神体。言葉の説明は不要だ。岩が神なのだ。
○○の神という風に神様が人格を持つ以前はこうして岩とか山とか植物でも動物でもありとあらゆるものが日ノ本では神だったのだろうなあ。アニミズムというやつ?
国家ができていろいろ権力的価値が付加されてややこしくなるけど、日本人はもとは自然が神様だったのだろうなあ。
下山、展望台から大和三山が見える。物知りのおばさんたちが、
( あのな、むかしな、畝傍山と耳成山の恋路に香具山が割って入って、こうして[手を広げる動作] 邪魔したんだでー わはは。)
と話している。
三輪駅の近くの素朴な店であぶらげときのこ入りの(にゅう麺)をいただいて帰路に。

なるようになる。
1956年ヒッチコック作のスパイ映画の主題歌だそうである。
子供のころからよくラジオで耳にしていた曲である。
”大きくなったらお金持ちになるだろうか?きれいになるだろうか?”
”ケセラセラ なるようになる”
えらくのんきな内容なので、見たことはないがスパイ映画とは想像もつかなかった。
Whatever will be will be.
しかしこの頃この詩がのんきとは逆の意味に聞こえて仕方がない。
なるべくところになるのだ・・・と。
決定論だ。
DNA鑑定とかいうものが進んで自分の将来の姿というものが医療にしろ、なんにしろかなりのことが分かるらしい。
数百万円で全ゲノム、10万円で主なところという具合らしい。
アルコール依存とか、犯罪とかも結局・・・ということになると話は厄介だ。
青春というものは厄介で自分の行先が分からないから七転八倒悩むのだが、それが決まっているとなればこんなお気軽なことはないけど、うーむ。
やはり一時あれこれ迷うほうがいいような気がするなあ。
迷いなくて人生無し なんちゃって。

突然ですが、ホームに記したように本サイトの管理ソフトSITE BUILDERのメンテナンスが11月で終了することとなりました。3年半お世話になったところですが、残念ながらリセット、最初から作り直しということになりました。
思えば、会社創立とともに何も知識のないまま勢いでイケイケで作ったホームページでしたが、社会との窓口ということで、緊張感を維持するのに自分としては随分役に立っているのですが。うーむ物事には切れ目というものがあるので仕方がないか。ドイツ散見記もそろそろ賞味期限を過ぎたようだし。しかたないなあ。
ところでこのサイト何人ぐらいのひとが見ているのだろうか。2人は確実だ・・・いや5人・・・10人・・・いやこないだ香川のSさんがモーターのデータがほしいと3年ぶりに連絡があった。たまに間違って紛れ込む人もいるから大目に100人ぐらいはいるのかも。
うーむ・・・メールでもじゅうぶんいけそうだなあ。
しかし、名刺代わりということもあるので頑張ってまた一からはじめるように頑張るということにしておこう。
時も時、衆議院が解散した。国会もリセット。
さてさてお互いに帰ってこられるかな?
ばんざーい。

最近の昼飯の定番である。サッポロ約60円、出雲そば約70円。
値段だけ見るとみじめな感があるが、そうではない。サッポロの場合自作の野菜、(玉ねぎ、ホウレンソウ、ニンニクなど)を入れるとかなりうまい。そばの場合は出雲そばだから、これも自作の分葱、大根おろしに正月の残りの岩のり、わさび、七味があれば文句なしうまい。なんといっても自分で料理、といってもほとんど湯を沸かしたり、野菜を切ったりおろしたりするだけなのだが、自分で作るから格別にうまくなるのだ。
ちょっと工夫するだけで安くてうまい昼食。
円安になろうが、株高になろうが、自分のデフレマインドは不変である。どケチでいくのだ。なんでデフレがわるいのだ?