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新ウィルスの流行で世の中随分騒がしいが、経済状態は既に昨年末から下降気味で、当方も例外ではなく、至って暇である。感染者の有無を県別に記したものを見ると、ひがみかもしれないがグローバル度の低い県程流行がないように思える。人の行き来を考えれば当然のことかもしれない。普段グロ-バル化が現代の必須条件のように言われるが、遅れていることがこのように安全をもたらす場合もあるのではないか。ジェット機をぶんぶん飛ばして大量の旅客をまき散らすのもちと考え直したほうがいいのでは?
暇なので半世紀前に読んだ漱石を読み直してみた。山陰中央新報で連載している「草枕」を手始めに「門」、「それから」。十代のモラトリアム状態で読んだときと違って、読んでいて随分と気軽だ。これから人生を選択しなくてはいけないときと、殆ど残りを埋めていくだけの時の違いだろうか。
「門」では安之助という少々山っ気のある人物が登場して、月島のあたりに工場を構えて、石油発動機を鰹船につけて一儲けしようというとしたり、電気式のインキロールなどとよくわからないものまで登場する。漱石さんもかなり最新の機械のことを勉強していたようだ。光の圧力で登場する寺田寅彦は「三四郎」だったかいな。

昼にそばをゆでてすすっていたら、ラジオから "When Sunny gets blue"のピアノが流れてきた。
この時間には亡くなった人の音楽がかかることが多いので、もしやと思って調べたら、やはりMcCOY TYNER死すのニュースが入っていた。
82歳だったそうだ。
若いころのスタンダードのバラード、殊にコルトレーンのバラードの伴奏は素晴らしかった。
それとは別にオリジナルのテーマには全く違った力強い趣がありました。
ほとんど手癖ではないかと思える右手の連打も、翁の手にかかると不思議と独特の宇宙観を醸し出すのだ。アントニオカルロスジョビンのウエーブなど全く別の宇宙でしたね。
さようなら。ありがとう。
He left the planet. But his music is forever. (you tube のコメントより)