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2月初旬のある朝、珍しくスズメのえらくはしゃいだ鳴き声で目が覚めた。まだ繁殖の季節でもあるまいにと目をこすりつつ庭を眺めると、庭石の上に二つの黒い筒状の物体が2本あり、円筒の端面をスズメが2羽交互に突っついているのであった。よく見るとその円筒は黒々とのりを巻いた太巻きのように見える。家族に問いただすと、昨年食べ残した恵方巻き2本を冷凍保存しており、それを今季解凍して庭石の上に置いたのだという。予想もしなかった挙動であった。
2~3日の間スズメ饗宴は続いた。そしてある朝スズメの声がしないので庭石のほうを見ると、そこには黒い円筒は見当たらず、代わりに雪の上に黄色い長いものと、黒い傘の断面形状のようなものが散らばっていた。不審に思い庭に出て確認してみると、黄色い長いものはかんぴょう、黒い傘はしいたけの切ったものであった。どうやら犯人は近くの木に長年住みついているカラスのように思われる。あれだけの量を全部平らげてしまったらしい。かんぴょうとしいたけは甘党のカラスには口にあわなかったのではないか。
ま、これは私の妄想かもしれないが、犬だったら全部平らげたのではないかと。
カラスもかあと鳴かずに黙って恵方を向いて食ったのだろうか。

60歳で大工になった男
どこかで聞いたようなフレーズだ。一昨年地元一畑電車を題材にした映画RAYLWAYSができたが、それの副題が「49歳で電車の運転手なった男」だったかなあ。
RAYLWAYSの運転手は架空の話だが、大工の話は本当の話だ。(らしい)
今年1月ほぼ30年ぶりで再会した元同僚が定年退職後大工になっていたのだ。退職後大工の学校に通い、卒業して師匠についてやっているらしい。
最初に聞いたときは唖然としてすぐに「無理だろう」という言葉がでてきた。しかし驚きはしたが、A氏ならやりかねんという気持ちもわずかに心の隅にしっかりへばりついていたかも。
そういう人なのだ。
「研げば研ぐほど・・・・」は多分カンナかのみのことだろうが、むつかしいのだろうなあ。
しかしあとで材木屋の知人から聞いたところによると、最近一般の大工さんはほとんどこのような研ぎを必要とする工具を使わないのだそうである。使うと叱られるという話も出た。(本当かどうかはわからないが)
世の中変わったものだ。
やりたいことがあってもいろいろな環境が許さない場合が多い。できる環境にあるのであれば、やりたいことはやっといたほうがいいだろう。やりたいときが旬なのだ。60でも70でも80でも。金さんは100歳で老後にそなえていたのだ。
次A氏に会うのはいつになるのだろうか。

去年は出雲地方には松枯れの嵐が吹き荒れて、山の松、築地松、庭の松を問わず、少し色がおかしいなと思う間もなく真黄色に変色、枯れていく姿がめだった。農薬空中散布をやめたからということも言われるが、そればかりでもあるまいと思う。
我が家の猫の額ほどの庭に植えられた松も例外ではなく、特に低いほうの枝が変色し始めたので、早めに切除手術を行った。結果はまだわからないが、何とか生きながらえているように見える。
さて、この庭松について、あまり穏やかではないが、枯れて喜んでる人もいるらしい。それは維持費がかかり、若い家族の家計を圧迫するからである。大きな松が1本あればまともに手入れを庭師さんに頼むと年に10万円前後かかるのだ。あまり興味もないのに、ご先祖が残した松なので仕方なく毎年お金をつぎ込んでいる人も多いはずだ。
自分の場合、おやじが植えたものを引き継ぎ、資金がないので、見よう見まね、自力でもう17年間枯らさずにやっている。そもそも生き物だから、あまりの無茶をしない限り枯れるということはあるまいと思ってやってきたが、慣れるまでには紆余曲折があった。
頼りにしたのは経験のある人から聞いたことで、とにかく初夏5,6月ごろ出た芽を全部チョキチョキ切り落とし、秋に新たに出た脇芽を2本ずつ残すという手法。これを唯一マニュアルとして数年やったが、当たり前のことで枝は等比級数的に増え、細くなり、ついには弱って枯れるところが出てきた。どこかおかしいと思い、それからは適当にゾーンに一定の本数が残るように切り落とすようにして何とか今がある。
日本人に特有とされる非対称の美学を松は体験させてくれるのだが、それと維持費とのせめぎあい。自分も体が動くうちは自力でやろうと思っているが、次世代は??。
花札の松のようにならんうちに成仏してもらうか。おこるだろうなあ・・・おやじ。