コンテンツへスキップ

出雲市口宇賀町
現在名:宇賀神社
主祭神:大己貴命、綾門姫命

縣神社の北2.5kmほどのところ、北山をぐるりと周って日本海に出る途中。

宇賀神社鳥居


由来
本殿
道祖神
荒神

オオクニが当地の姫、綾門姫に求婚したとき、「女神肯ひたまはずして逃げ隠りたまひき。・・・」あちこち探して、当地で見つけたということか。
近くに黄泉の穴あり。夢にこの磯の窟のほとりに至るものは必ず死ぬという。
こちらのほうが、元祖黄泉の穴ということか?

出雲市国富町
現在名:縣(あがた)神社
主祭神:若帯彦命 (13成務天皇)

美談社の北方1km若のところにあり。
431号線に鳥居があり、そこから参道が続く。

緩やかな坂の参道
文字どうり獅子鼻の狛犬
本殿

配祀神に誉田別命(応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)とあるのは八幡神社の特徴だろうか。
神功皇后は身重で自ら朝鮮出兵した皇后。帯で腹を縛って出産を遅らせたとか。
えらいこっちゃ。

木佐家要石大神扁額
要石

縣社の東北にある木佐家の要石。くにびきで引き寄せた島が要石で大地に固定されているとか。国富の地名はもとは国留の意味だとか。
司馬遼太郎が子供の時、石をまたいで、おばあさんに「根が生えているかもしれんものをまたいではいけない」というような意味で叱られたという話を書いておられたような・・・。うろ覚えである。

出雲市美談町
現在名:美談(みだみ)神社
主祭神:経津主命(フツヌシ)、息長足姫命(オキナガタラシヒメ)、武甕槌命(タケミカヅチ)、比女遅命

都我利神社の1km北東、北山縁沿い。

鳥居

鳥居の前の道路は頻繁に通ったが、初めて中に入ってみた。

拝殿
本殿
扁額

フツヌシ、タケミカヅチは国譲りの舞台での高天原からの使者。
社名が交錯しているのは合祀の為か。

出雲市西林木町山持
主祭神:阿知須枳高日子根命(アジスキタカヒコネ)
現在名:都我利神社

伊努社の1.5kmほど東の北山縁

都我利神社上り口
扁額
神社より南側を望む

斐伊川土手が間近に見える。これが風土記当時はなかったことになる?
山持遺跡、青木遺跡はすぐ下だ。弩の模型やら朝鮮半島の土器など出土している。

荒神

竜の頭がユニークだ。
神社の裏に義民の碑があった。

義民中島治兵の由来
中島治兵の碑

江戸時代、直訴した村民の代わりに打ち首になり、のち神格になった中島治兵。
自分の現住所松寄下町(旧松寄下村)にも宅和伊助という義民がいて、不作に免税を直訴して打ち首、さらし首になっている。これまた神霊として丁重にまつられている。
江戸幕府は体制を守るためには容赦なくやったのだ。

出雲市西林木町
現在名:伊努(イヌ)神社
祭神:赤衾伊努意保須美比古佐倭気命(アカフスマイヌオホスミヒコサワケ)

久佐加社より800mほど東、山際の平地。
アカフスマはくにびきの八束水臣津野命(ヤツカミズオミズヌ)の子だそうです。

扁額
拝殿・本殿
荒神
道祖神

出雲の雰囲気をたっぷりと充満させた社でした。
境内にブランコなどあって、こういうところで遊んで育った子供たちは出雲の風土をしっかり身に蓄えることでしょう。
近くに伊努谷という名刹鰐縁寺への上り口があり、確か小学4~5年の時遠足で峠越えのルートを歩いたはずである。急坂できつかった覚えがある。
因みに自分は昼食後本体とはぐれて、一人ふてくされて日本海側河下、万田まで下ったのでした。大迷惑をかけたが、「えーいいってしまへ」的な性格はこの時分から変わらないようだ。未だに迷路に迷い込むことがある。