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庭の松は負の遺産?

去年は出雲地方には松枯れの嵐が吹き荒れて、山の松、築地松、庭の松を問わず、少し色がおかしいなと思う間もなく真黄色に変色、枯れていく姿がめだった。農薬空中散布をやめたからということも言われるが、そればかりでもあるまいと思う。
我が家の猫の額ほどの庭に植えられた松も例外ではなく、特に低いほうの枝が変色し始めたので、早めに切除手術を行った。結果はまだわからないが、何とか生きながらえているように見える。
さて、この庭松について、あまり穏やかではないが、枯れて喜んでる人もいるらしい。それは維持費がかかり、若い家族の家計を圧迫するからである。大きな松が1本あればまともに手入れを庭師さんに頼むと年に10万円前後かかるのだ。あまり興味もないのに、ご先祖が残した松なので仕方なく毎年お金をつぎ込んでいる人も多いはずだ。
自分の場合、おやじが植えたものを引き継ぎ、資金がないので、見よう見まね、自力でもう17年間枯らさずにやっている。そもそも生き物だから、あまりの無茶をしない限り枯れるということはあるまいと思ってやってきたが、慣れるまでには紆余曲折があった。
頼りにしたのは経験のある人から聞いたことで、とにかく初夏5,6月ごろ出た芽を全部チョキチョキ切り落とし、秋に新たに出た脇芽を2本ずつ残すという手法。これを唯一マニュアルとして数年やったが、当たり前のことで枝は等比級数的に増え、細くなり、ついには弱って枯れるところが出てきた。どこかおかしいと思い、それからは適当にゾーンに一定の本数が残るように切り落とすようにして何とか今がある。
日本人に特有とされる非対称の美学を松は体験させてくれるのだが、それと維持費とのせめぎあい。自分も体が動くうちは自力でやろうと思っているが、次世代は??。
花札の松のようにならんうちに成仏してもらうか。おこるだろうなあ・・・おやじ。